January 19, 2014
「昭和時代」。
とある美術作品の説明書きに、制作年を「昭和時代」と書いてあったんです。
昭和「時代」ですか。
「平安時代」「江戸時代」「明治時代」という表記に違和感はないです。でも、「昭和時代」という表現には若干のぎこちなさを感じていました。
が、そのぎこちなさは、自分の中で「昭和」が未だに記憶に生々しい最近のこととして息づいていて、「昭和」を過去の歴史とは認識していないことが原因だったようです。
しかし平成も26年。四半世紀を超えてきているわけで。
昭和に起きた事件で、現在も捜査中だったり公判中だったりする案件も減ってきて、多くは歴史上の出来事として語られるようになってきてるし、確かに過去になった。
その美術品の説明書きを書いた人は、「時代」という過ぎ去った時の出来事であることを示唆する単語と「昭和」という単語に不釣り合いを感じることはなかったんでしょうし、それが世間にも受け入れられているってことですよね。
「昭和時代」。昭和も歴史上の時代区分になりました。
January 08, 2014
年賀状の思い出。
あれは小学校3年生、冬休み明けの3学期初日のことだったと思う。
先生がみんなに、年賀状を何枚もらったかな?と教室で聞いたんだ。
「10枚以上もらった人、手を挙げてー。」
運動ができてクラスの人気者のA君や、女の子たち間でリーダー格のBちゃんが手を挙げる。
「じゃあ、9枚!」
「8枚!」
「7枚!」
・・・
「1枚。」
「・・・0枚。」
手を挙げたのはO君だけ。彼はいじめっ子でも、いじめられっ子でもなかった。ただ、クラスの誰とも年賀状を送りっこするほどの関係を持っていない、「ああ、言われてみればそうだ。」という感じの子だった。
手を挙げるO君の横顔を今でも思い出せる。手を挙げる彼の気持ちを考えると、今でも胸が詰まる。僕もO君と普通に話はするものの、放課後に一緒に遊びに行くほどは親しくなかったんだけど。
まだ小さな子どもの時に、あんな残酷なかたちで孤独の味を知った彼は、その後どんな人生を歩んだんだろう。毎年この時期になるとO君のことを思い出し、会って話をしてみたいと思うんだよね。
どうしてる?大久保君。
先生がみんなに、年賀状を何枚もらったかな?と教室で聞いたんだ。
「10枚以上もらった人、手を挙げてー。」
運動ができてクラスの人気者のA君や、女の子たち間でリーダー格のBちゃんが手を挙げる。
「じゃあ、9枚!」
「8枚!」
「7枚!」
・・・
「1枚。」
「・・・0枚。」
手を挙げたのはO君だけ。彼はいじめっ子でも、いじめられっ子でもなかった。ただ、クラスの誰とも年賀状を送りっこするほどの関係を持っていない、「ああ、言われてみればそうだ。」という感じの子だった。
手を挙げるO君の横顔を今でも思い出せる。手を挙げる彼の気持ちを考えると、今でも胸が詰まる。僕もO君と普通に話はするものの、放課後に一緒に遊びに行くほどは親しくなかったんだけど。
まだ小さな子どもの時に、あんな残酷なかたちで孤独の味を知った彼は、その後どんな人生を歩んだんだろう。毎年この時期になるとO君のことを思い出し、会って話をしてみたいと思うんだよね。
どうしてる?大久保君。
January 02, 2014
沖縄。
沖縄。
小学校の時分に地元自治体の「少年の船」事業で初めて行ってから何度となく訪れ、2014年の正月も沖縄で迎えました。
沖縄旅行は「ビーチとマリンスポーツ」「琉球」「戦争と慰霊」「熱帯の自然」、いろいろな側面があって飽きることはないですけど、今回の年末年始の沖縄南部滞在はまた別の角度からの沖縄です。
40年近く前に沖縄に移り住んだ親戚を訪ねたのですが、それだけの時間を沖縄で過ごすと立派にうちなーんちゅ(沖縄の人)。現地の暮らしを垣間見ることになりました。
「100才を超えて亡くなった人の葬式、香典返しはヤクルト」「車社会。で、車で30分以上の距離は『遠い!』」「子ども3人は普通。4、5人でも特に驚きはない」、そんな「沖縄あるある」を聞きながら、知人の米軍関係者のエスコートで嘉手納基地内に入りお買い物&ランチ。アメリカに行ったことはないんだけど、基地内は「アメリカ」って感じでしたよ。
* * *
私がまだ乳母車に乗せられていた頃に同居していて、私をすごく可愛がってくれていたという親戚のおばちゃんが数年前に他界したんですが、当時アフリカに赴任していた私は葬式に行くことができなかったんです。
そのおばちゃんの遺骨は残波岬からそう遠くない真栄田のサトウキビ畑の中の墓地に納められていました。サンゴの欠片で敷き詰められた近くの小さな入り江で甥、姪を遊ばせながらお墓参り。初めて聞く遠い日の話を聞きながら、手を合わせてきました。
* * *
日本、アメリカ、そして琉球。3つのアイデンティティが混ざり合う暮らし。決して楽ではないけれど、おおらかに、マイペースに受け入れる南国の気性。別に沖縄生まれでもないのに、抗しがたい愛着を感じるのです。
夕飯は、地元の人がオススメのアメリカンなレストラン。米兵に混じってオバアもステーキやバーガーを食べに来る土地柄に沖縄を感じながら、暖かな元旦の夜は更けていったのでした。
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